個人の尊厳と面会交流
昔は、こどもは「被害者」でいればいい、という考え方は主流でした。悪い親が環境を変えて、こどもは常に被害者にする、それで罪悪感を抱かずに済むということです。しかし、甥っ子は両親の離婚を経験して、パパさんに引き取られたいと話しましたし、時代は大きく変化したのではないかと思います。名古屋家裁でも、「こどもの幸せは裁判所が決めます」と述べた勘違い裁判官がいましたが、基本的人権、そして人間の尊厳を何と心得ているのでしょうか。
彼の人生は彼の精神が握っている―当然のことではないか、と思います。
たしかに、離婚や生き別れについては、こどもは心理的には逆境でしょう。ドイツでもこどもは親の離婚について知る権利があると規定されています。
日本の家事事件手続法には規定されませんでしたが、夫婦の至らなさがこどもに悪影響を与えるのですから、別居や離婚後の安心できる生活の見通しを伝えることが大切です。
ある意味では仕方ないことかもしれませんが、こどもがいないと「養育費」「児童扶養手当」「県営住宅への優先入居」ができないという理由だけで親権の取得を希望された女性がいましたが、そこにはこどもがやはり社会のプレーヤーの主体であるという認識が欠落しているのだ、と思います。
離婚については、こどもはすべてを理解していないかもしれませんが、ひとりの人間として親が誠実に対応してくれたことで、こどもの自尊感情が保たれるものです。甥っ子は、パパさんが説明しようとしたら、「説明してくれなくていいよ。離婚の話し、全部家でしていたじゃん。全部聴いていたから」といわれたそうです。情緒的に不安に陥りやすいときだからこそ面会交流は架橋として重要といえるかもしれません。そして、離婚それ自体が双方の親のこどもの信頼を損なう恐れがあると思います。なので、こどもが話したいことがあるというときは、何があってもいそがしても傾聴してあげることが必要です。
最近の臨床研究では、こどもを紛争に巻き込むとして、状況説明をしないことがかえってこどもを情緒不安定にさせたケースが報告されました。
こどもに対する適切な知る権利の保障がなされていないと、面会交流に拒否的ながら、面会交流親と会うのを楽しみにしていたり、いつまでも面会交流親の後ろ姿をみつめていたりするのです。
きちんと説明することで、こどもの不安感が取り除かれて、面会が嫌がることもなく配慮ある知る権利の保障は、こどもを成長させ、たくましくさせるように思います。
マターナリスティックは,かえってこどもを情緒的に不安定にさえ,その後の生活に影響を与えることもあります。